「君の面影」
大神×すみれ
すみれ引退後、しばらく経ってからのお話
黄緑作
大神×すみれ
すみれ引退後、しばらく経ってからのお話
黄緑作
「君の面影」
「まぁ~ったく、こんな所で寝てるなんて。中尉さんも駄目ですねー。」
「織姫。隊長も疲れてるんだよ。少し休ませてあげよう?」
「え~?つまらないでーす!!」
そんな話声が聞こえた気がして、ふと意識を覚醒させた。すると、目の前に2人の少女と目が合う。
「レニ。織姫くん。」
「チャオ!中尉さん。起きたみたいですね。」
「この場合は『起きた』じゃなくて『起こした』だよ。……隊長、大丈夫?疲れているなら部屋で休んだ方がいいよ?」
「いや、大丈夫だが……」
そう言われて辺りを見渡すと、舞台で練習をしている皆が見える。どうやら舞台袖でうたた寝をしてしまったらしい。
「ごめん。少し寝てたみたいだね。」
「んもぅ。私とレニの出番はもう終わっちゃいましたよー?」
膨れっ面の織姫を宥めるようにもう一度謝り、舞台に目を向ける。
練習であろうとも、歌い、踊っている姿はいつ見ても華やかだ。
見ていると、こちらまで楽しい気分になる。
つい寝ていたのが勿体無いほどだ。
そんな事を考えながら舞台を見ていると、ボーン……ボーン……と、練習の終わりを告げる時計の音が舞台に鳴り響き、マリアが皆に声をかけて練習は終了した。
「よぉーっし!!練習も終わったし、飯にするぞ!!」
「わーい!!おっ腹がすいたー!今日のごっ飯は、なんだろう?!」
元気に食堂へ走っていくカンナとアイリス。
「おつかれさーん!!今日もマリアはんは格好よかったなー。椿ちゃんが見たらメロメロになるんやないの?」
「止めて頂戴、紅蘭。…………少し、冗談にならないから。」
「ふふ、椿ちゃんはマリアさんの大ファンですものね。」
笑いながら舞台から戻ってくる紅蘭とマリアとさくらくん。
「それじゃあ、僕たちも行こうか。」
「そうですねー。早く行かないとカンナさんに全部ご飯食べられちゃいますからねー。」
一人一人にお疲れ様と伝えて自分もそれに続こうと思ったが、ふと足を止める。
振り返ると、舞台にはまだスポットライトを浴びたままセンターで立っているすみれくんが居た。
けれど彼女にいつもの笑顔は無く、どこか寂しげに客席を見ていた。いつもはスポットライトを浴びて誰よりも輝いている彼女なのに、今はどうだろう。
何故か見ていると不安になる。
一度後ろを振り向いてもう皆は食堂へ行ってしまったことを確認してから、もう一度呼ぶ。
なのにすみれくんは一向に振り向かない。
それがまた、不安を増徴させる。
「すみれくん。皆食堂に行ってるけれど、行かないのかい?」
「…………」
じっと客席を見たまま振り向きもしない彼女に、「何か考え事でもあるのだろうか」、「そっとしておいた方が良いのだろうか」と考える。
考えながらじっとすみれくんの方をみていたら、ふと、すみれくんに当たっていたスポットライトがの光がゆっくりと落ちていく事に気がついた。
誰かが消したにしては、光が一気に落ちない事に違和感を感じて周りを見てみるが、誰かがいる気配は無い。
首を傾げてからもう一度視線をすみれくんへ戻すと、また違和感を感じた。
スポットライトを浴びているすみれくんの影がやけに濃い。
光もだんだんと落ちてきているから影はあまり濃くない筈なのに。
そして、その影の濃さと反比例するかのように彼女の存在が薄くなっていくように見える。
(まるで、闇に飲み込まれてるみたいだ。)
自分のその考えに鳥肌が立った。
不安を拭い去りたくて彼女に近づこうと思って足を進めようと思ったのに、足が何かに掴まれたかのように動かなかった。
「……………え?」
足元を見てみたが、特に障害物は無い。
なのに、歩こうとしても足が動かなかった。
足が、やたらと重い。まるで鉛でも足につけたようだ。
「すみれくん!」
彼女の名前を呼んで必死に手を伸ばすが、彼女が振り向く事は無い。
ならばと思い、必死に足を動かしてすみれくんへ近づく。
不安と嫌な予感突き動かされて、重い足を何とか彼女の方へ足を進めた。
一歩進むごとに、なぜか身体が重くなっていく。
足が重くて重くて、無理に動かそうとすると足がちぎれるのではないかと思うほど。
けれど、構いはしない。この不安が拭い去られるなら。
ようやくすみれくんの傍に近づいた。
やはり、彼女に落ちた影が濃い。そして、その表情も厳しい。
「すみれくん、どうしたんだ?」
そう尋ねて、細い肩に触れようとした。
「………!?」
しかし、手は肩を通り過ぎて下に落ちた。
「…すみれ、くん?」
もう一度触れようとするが、幻を掴むかのように手がすり抜けた。
その間もだんだん光は落ち、すみれくんの姿は影の部分から溶けるように消えてゆく。
愕然とした気持ちですみれくんを見ると、ようやく彼女は振り返って、何かを諦めたように笑った。
「すみれくん!!」
彼女の存在をと留めるように抱きしめようとするも、腕は虚しく空を掻き抱く。
自分が必死に足掻こうともどうすることもできず、最後に残った髪の一房が消えるまで、ただ見ていることしか出来なかった。
そして、一人舞台に取り残される自分。
「すみれくん…。すみれくん……っ!!」
目を凝らして辺りを探す。
けれど姿は一向に見えない。
声が舞台に響くのみ。
「す、みれ、くん………っ!!」
声が返ってくることは、無い。
「――――――――――――っ!!!!!!!!」
虚しさと無力感に、声も無く叫んだ。
「……………っ、はっ!」
目を覚ますと、見慣れた自分の部屋の天井が見えた。
一瞬頭の中が混乱したが、時間が経つにつれて状況を把握してくる。
(夢、だったのか。)
身体は夢を引き摺るかのように硬直していたが、やがてゆっくりと力が抜けていった。
もう1年以上も経つのに、今でも思い出す。
ずっと悩んでいたすみれくんと、傍に居る事しか出来なかった無力な自分を。
いつもより鈍い動きで着替えを済ませ、身なりを整える。
本来ならかえでさんの元へ向かって一日の予定を聞く事になっているのだが、なんとなく、足がすみれくんの部屋へ向かった。
ドアの前にいくと、前は掛かっていたネームプレートが外されている事が寂しい。
無駄だと思いつつもノックをしてから扉を開けると、がらんとした部屋が姿をあらわす。
もう豪華な照明もベッドも置いていない、無人の部屋。
その主を無くした部屋は、外の空気よりも冷たい空気をしている気がする。
俺は誰も居ない部屋に足を踏み入れて、壁に凭れ掛かって目を瞑る。
彼女と出会って、色々な事があった。
帝都の食堂で、印象が最悪な出会い方をした事。
喧嘩を止めようとして引っ叩かれた事。
カンナと3人で深川に霊力の高い屋敷に調査に向かった事。
溺れているのを助けた事。
シンデレラの話が好きだという事を話した事。
紅茶を入れた事。
お見合いを壊しに行った事。
華やかで印象的な彼女と同じように、思い出もどれもこれも印象強いことばかりだ。
なのに、もう彼女は居ない。
霊力が、無くなってしまったせいで。
彼女の霊力が弱まっている事には、前から気付いていた。
眩いまでの彼女の霊力が何かに蝕まれるかのように弱まっていくのに、気付かない筈が無い。
けれど、どうすることも出来ずにただ見ていることしか出来なかった。
(なにか、してやりたかった。助ける事が出来るなら、助けたかった。)
自分が全ての人を助ける事が出来るとは思っていない。
そんな事はあやめさんの時ですでに思い知っている。
けれど、だからこそ自分の周りの人は大切にしようと、誰一人欠ける事が無いように努力しようと思っていたのに。
(また、居なくなってしまったな……。)
自然と自嘲の笑みが浮かぶ。
誇り高い彼女の事を思い、あえて霊力の事を口にはしなかったが、そのせいで一人で悩み、苦しみ、去る事を決めてしまったすみれくんを思うと後悔が押し寄せた。
「ここに居たのね、大神くん。」
「……かえでさん。」
ゆっくりと目を開けると、かえでさんが心配そうな顔で自分の顔を覗き込んでいた。
「まだ、後悔しているの?」
表情にまで出ていた事に苦笑しながら、誤魔化すように「心配をかけてすみません」とだけ答えた。
「霊力はまだ不明な点が多い未知の物なのよ。すみれの霊力を取り戻す方法は、私たちには無かったわ。………だから、自分を責めないで。」
かえでさんの言葉に俺は頷く。
確かに、霊力を取り戻す方法など無いと分かっていても、それでも自分に出来る事は合ったのではないかと思ってしまう。
「そうかもしれません。ただ、俺が諦めきれないだけです。……情けないですね。」
「大神くん……。」
かえでさんの表情が辛そうに歪む。
そんなに自分の表情は痛々しいのだろうか。
(また心配を、かけてしまったな。)
その事を申し訳ないと思いながら、かえでさんを部屋に出るように促した。
暖房もつかないこの部屋はかなり冷える。
このままではかえでさんが風邪を引いてしまうかもしれない。
「ねぇ、大神くん。進む道が同じじゃなくても、遠く離れていても、私達の気持ちはずっと傍にある。それを、忘れちゃ駄目よ。」
部屋を去る際に、かえでさんは俺の目を見ながらそう伝えた。
今日の予定は、新しい光武の開発についての会議。
紐育のスターのように空中戦にも対応できるよう、変形型の光武の製作についてを話し合う事になっている。
会議の場所は作戦司令室になっているが、技術者達が来るまでまだ時間がある。
『顔色があまりよくないわ。大神司令は少し休んで気分転換でもして来たら?資料は、私が用意しておくから。』
かえでさんのその申し出に甘えて、とりあえずこの食堂で食事を取った後、何をする訳でもなくぼんやりとしている。
「気持ちは傍にある……か。」
かえでさんの言葉を反芻しながら、俺は食堂の椅子の背もたれに体を預けた。
彼女はどんな気持ちだったのだろうか。
決断を後悔していないだろうか。
「気持ちは傍にある」と言われたのに、そんなことすら俺には分からない。
いつか会う事が出来たなら、聞くことができるだろうか。
あの時の、彼女の気持ちを。でも、もしそれで彼女を傷つけたら……?
カラン……
考えに没頭していたら、後ろで何か落ちた音が聞こえた。
誰か他に来ていたのだろうか。そんな事をぼんやりと思っていると、後ろに居るであろう人に声をかけられた。
「ちょっと、そこの貴方。」
聞いたことがある綺麗な声。
よく覚えている。期待を込めて、ゆっくりと後ろを振り向いた。
「自分…ですか?」
「他に誰が居るというの?馬鹿面してないでとっとといらっしゃい。」
あまりの言われように苦笑するが、彼女がからかうような楽しそうな視線で俺を見てくるので、彼女に付き合うことにした。
この先の展開を予想して、あの時と同じように新しいフォークを持って彼女に近づく。
「どうぞ。」
「まぁ、ありがとう。気が利いていらっしゃるのね。」
新しいフォークを受け取って、彼女は機嫌よく笑った。
最初に出会った頃の出来事を繰り返したような再会に、思わず俺も笑顔が零れた。
「久しぶりだね………、すみれくん。」
「お久しぶりですわ、大神司令。」
「まさか、すみれくんが来るとは思わなかったよ。かえでさんからも、何も聞いていなかったし。」
「それは当然ですわ。私が驚かそうと思って連絡をしなかったんですもの。」
よく考えれば、新しい光武の開発となれば技術者だけではなく、神崎財閥も関わってくる筈だ。
それでも、よもやすみれくんが来るとは思わなかったが。悪戯が成功した事に満足げに笑ってから、すみれくんは俺に向かって指を差した。
「それより、何なんですの?先ほどまでの辛気臭い顔は。折角の良い男が台無しですわよ?」
「そんな暗い表情、してたかな。」
「えぇ、それはもう。司令の立場から、隊員である皆さんに相談する事も難しいでしょうから、私が相談を聞いてあげてもよろしくてよ?」
「別に、悩みがあるというわけでは…」
「いえ、あれは悩みがある顔でしたわ。私を誤魔化せると思いまして?」
悩んでいた原因である人物に思いっきり核心をつかれて、思わず視線を逸らす。
本人を目の前に、「君のことで悩んでいた」とは言い辛い。
視線を逸らしたまま黙っていると、すみれくんは寂しげに溜息をついた。
「分かりましたわ、帝国華撃団としての機密もあるでしょう。もう花組では無い私には言えない事もおありですわよね……。」
「違う!」
確かにすみれくんの事で悩んではいたが、それはそういう意味で悩んでいた訳ではない。
「君はずっと俺達の仲間だ。何処にいても、どんな身分になっても。ずっと。」
真剣にその気持ちを伝えると、すみれくんはキョトンとしてから、クスクスと笑い出した。
その反応に、どうして良いか分からなくて名前を呼ぶと、すみれくんは笑いを噛み殺しながら答えた。
「あら、そんな事言われなくても分かっておりましてよ。ちょっと意地悪をしてみたかっただけですわ。歌劇団を抜けた事を盾にするのは少し卑怯でしたけど、司令ともあろうお方がそんなに単純に引っかかってはいけませんわ。司令も、まだまだですわね。」
声高に笑われながら、俺は少しうな垂れだ。
元々駆け引きはあまり得意ではない上に、相手は元トップスタァだ。適う筈が無い。
「まぁ、所詮司令は私には適いっこ無いと言う事はこれでお分かりでしょう?何かあるならさっさと話して下さいませ。」
これは、彼女なりに話しやすくしてくれたのだろうか。
相変わらず分かり難い優しさに内心
「素直じゃない」と思いながらも、尋ねてみる事に決めた。
「すみれくん…」
「なんですの?司令。」
静かに自分を見つめる瞳に、この疑問をぶつけて彼女を傷つけはしないだろうかと一瞬怯むが,それでも疑問を口から押し出した。
「すみれくん。……この歌劇団から離れる時、何を思った?」
「………」
「すまない、不躾だった。」
少し辛そうに細められた目を見てやはり傷つけたかと、話を打ち切ろうとすると、すみれくんが首を左右に振ってそれを制した。
「いえ、結構ですわ。……そうですわね、随分と悩んだ事は確かです。今まで霊力があって当たり前でしたから、それが無くなるという事は身を切られる思いでした。光武に乗って戦う事、華撃団の一員である事、トップスタァである事は私の誇りでしたから。」
「…………」
「でも、この劇場を離れるときは、苦しい気持ちばかりだった訳ではありませんし、ここを離れて神埼重工へ行く決断をした事にも後悔はありません。何も出来ずにここへ残るより、自分にしか出来ない事をやるべきだと思いましたから。」
「すみれくん……」
先ほどまでの悲しみを瞳から拭い去り、真剣な瞳で俺を見据えた。その瞳から、すみれくんがどれだけの決意を持ってそれを選んだかが滲み出てくるようだ。
「……ですから、司令も自分を責めるような事はなさらないで下さい。大神司令は私が悩んでいるときに、傍にいて下さいました。私はそれで十分救われましたわ。」
その言葉に、思わず目を見張る。
「すみれくん…、俺が何に悩んでいたのか、気付いて……」
「私に何か言いたげにしていましたからね。この事かな…と。」
まるでお見通しだと言いたげな笑顔に、俺は諦めたように笑った。
やはり、すみれくんには勝てない。
けれど、それは悪い気分ではなかった。
「大神司令。私たちはお互い離れた所に居ますけれど、目指す物は同じ物でしょう?ですから、辛くないのです。貴方と一緒に、頑張っていると思えますから。」
『ねぇ、大神くん。進む道が同じじゃなくても、遠く離れていても、私達の気持ちはずっと傍にある。それを、忘れちゃ駄目よ』
(あぁ、この事だったんだな。)
かえでさんの台詞をまた思い出す。
そして、目の前のすみれ君の笑顔は曇り一つ無い物で、その表情を見てようやく俺の中のわだかまりが消えていくのを感じた。
「そうか……。なら良かった。君が苦しい選択を取ったのでないなら。今を誇りを持って生きているなら。ずっと、それを心配していたんだ。」
「まったく、ずっとそのことで悩んでらしたのね。あまり悩みすぎると、その内胃に穴があきましてよ?」
「あぁ、そうだな。気を付けるよ。」
顔を見合わせてお互いに暫く笑っていると、食堂の時計がそろそろ会議の時間になろうとしている事に気が付いた。
まだまだ話したいが、それは会議が終わってからにするとしよう。
「すみれくん、そろそろ時間だな。もう皆揃っているころだと思うし。」
「あら、もうそんな時間ですの?では、参りましょうか。」
俺はすみれくんに向かって手を伸ばした。
「お手をどうぞ、お嬢様。」
少し冗談めかしてそんなことを言ってみれば、すみれくんは此方の意図を汲み取って付き合ってくれた。
「あら、ありがとう」
そっと置かれた手を取り、俺はすみれくんの歩調に会うように歩き出す。
すみれくんも優雅な足取りで着いて来る。
俺は思わず笑いを零しそうになったが我慢した。
そうして、俺とすみれくんは作戦司令室への短い道中を共にする。
そう、それは帝都の平和という目標に、互いに近付く様に。
「まぁ~ったく、こんな所で寝てるなんて。中尉さんも駄目ですねー。」
「織姫。隊長も疲れてるんだよ。少し休ませてあげよう?」
「え~?つまらないでーす!!」
そんな話声が聞こえた気がして、ふと意識を覚醒させた。すると、目の前に2人の少女と目が合う。
「レニ。織姫くん。」
「チャオ!中尉さん。起きたみたいですね。」
「この場合は『起きた』じゃなくて『起こした』だよ。……隊長、大丈夫?疲れているなら部屋で休んだ方がいいよ?」
「いや、大丈夫だが……」
そう言われて辺りを見渡すと、舞台で練習をしている皆が見える。どうやら舞台袖でうたた寝をしてしまったらしい。
「ごめん。少し寝てたみたいだね。」
「んもぅ。私とレニの出番はもう終わっちゃいましたよー?」
膨れっ面の織姫を宥めるようにもう一度謝り、舞台に目を向ける。
練習であろうとも、歌い、踊っている姿はいつ見ても華やかだ。
見ていると、こちらまで楽しい気分になる。
つい寝ていたのが勿体無いほどだ。
そんな事を考えながら舞台を見ていると、ボーン……ボーン……と、練習の終わりを告げる時計の音が舞台に鳴り響き、マリアが皆に声をかけて練習は終了した。
「よぉーっし!!練習も終わったし、飯にするぞ!!」
「わーい!!おっ腹がすいたー!今日のごっ飯は、なんだろう?!」
元気に食堂へ走っていくカンナとアイリス。
「おつかれさーん!!今日もマリアはんは格好よかったなー。椿ちゃんが見たらメロメロになるんやないの?」
「止めて頂戴、紅蘭。…………少し、冗談にならないから。」
「ふふ、椿ちゃんはマリアさんの大ファンですものね。」
笑いながら舞台から戻ってくる紅蘭とマリアとさくらくん。
「それじゃあ、僕たちも行こうか。」
「そうですねー。早く行かないとカンナさんに全部ご飯食べられちゃいますからねー。」
一人一人にお疲れ様と伝えて自分もそれに続こうと思ったが、ふと足を止める。
振り返ると、舞台にはまだスポットライトを浴びたままセンターで立っているすみれくんが居た。
けれど彼女にいつもの笑顔は無く、どこか寂しげに客席を見ていた。いつもはスポットライトを浴びて誰よりも輝いている彼女なのに、今はどうだろう。
何故か見ていると不安になる。
一度後ろを振り向いてもう皆は食堂へ行ってしまったことを確認してから、もう一度呼ぶ。
なのにすみれくんは一向に振り向かない。
それがまた、不安を増徴させる。
「すみれくん。皆食堂に行ってるけれど、行かないのかい?」
「…………」
じっと客席を見たまま振り向きもしない彼女に、「何か考え事でもあるのだろうか」、「そっとしておいた方が良いのだろうか」と考える。
考えながらじっとすみれくんの方をみていたら、ふと、すみれくんに当たっていたスポットライトがの光がゆっくりと落ちていく事に気がついた。
誰かが消したにしては、光が一気に落ちない事に違和感を感じて周りを見てみるが、誰かがいる気配は無い。
首を傾げてからもう一度視線をすみれくんへ戻すと、また違和感を感じた。
スポットライトを浴びているすみれくんの影がやけに濃い。
光もだんだんと落ちてきているから影はあまり濃くない筈なのに。
そして、その影の濃さと反比例するかのように彼女の存在が薄くなっていくように見える。
(まるで、闇に飲み込まれてるみたいだ。)
自分のその考えに鳥肌が立った。
不安を拭い去りたくて彼女に近づこうと思って足を進めようと思ったのに、足が何かに掴まれたかのように動かなかった。
「……………え?」
足元を見てみたが、特に障害物は無い。
なのに、歩こうとしても足が動かなかった。
足が、やたらと重い。まるで鉛でも足につけたようだ。
「すみれくん!」
彼女の名前を呼んで必死に手を伸ばすが、彼女が振り向く事は無い。
ならばと思い、必死に足を動かしてすみれくんへ近づく。
不安と嫌な予感突き動かされて、重い足を何とか彼女の方へ足を進めた。
一歩進むごとに、なぜか身体が重くなっていく。
足が重くて重くて、無理に動かそうとすると足がちぎれるのではないかと思うほど。
けれど、構いはしない。この不安が拭い去られるなら。
ようやくすみれくんの傍に近づいた。
やはり、彼女に落ちた影が濃い。そして、その表情も厳しい。
「すみれくん、どうしたんだ?」
そう尋ねて、細い肩に触れようとした。
「………!?」
しかし、手は肩を通り過ぎて下に落ちた。
「…すみれ、くん?」
もう一度触れようとするが、幻を掴むかのように手がすり抜けた。
その間もだんだん光は落ち、すみれくんの姿は影の部分から溶けるように消えてゆく。
愕然とした気持ちですみれくんを見ると、ようやく彼女は振り返って、何かを諦めたように笑った。
「すみれくん!!」
彼女の存在をと留めるように抱きしめようとするも、腕は虚しく空を掻き抱く。
自分が必死に足掻こうともどうすることもできず、最後に残った髪の一房が消えるまで、ただ見ていることしか出来なかった。
そして、一人舞台に取り残される自分。
「すみれくん…。すみれくん……っ!!」
目を凝らして辺りを探す。
けれど姿は一向に見えない。
声が舞台に響くのみ。
「す、みれ、くん………っ!!」
声が返ってくることは、無い。
「――――――――――――っ!!!!!!!!」
虚しさと無力感に、声も無く叫んだ。
「……………っ、はっ!」
目を覚ますと、見慣れた自分の部屋の天井が見えた。
一瞬頭の中が混乱したが、時間が経つにつれて状況を把握してくる。
(夢、だったのか。)
身体は夢を引き摺るかのように硬直していたが、やがてゆっくりと力が抜けていった。
もう1年以上も経つのに、今でも思い出す。
ずっと悩んでいたすみれくんと、傍に居る事しか出来なかった無力な自分を。
いつもより鈍い動きで着替えを済ませ、身なりを整える。
本来ならかえでさんの元へ向かって一日の予定を聞く事になっているのだが、なんとなく、足がすみれくんの部屋へ向かった。
ドアの前にいくと、前は掛かっていたネームプレートが外されている事が寂しい。
無駄だと思いつつもノックをしてから扉を開けると、がらんとした部屋が姿をあらわす。
もう豪華な照明もベッドも置いていない、無人の部屋。
その主を無くした部屋は、外の空気よりも冷たい空気をしている気がする。
俺は誰も居ない部屋に足を踏み入れて、壁に凭れ掛かって目を瞑る。
彼女と出会って、色々な事があった。
帝都の食堂で、印象が最悪な出会い方をした事。
喧嘩を止めようとして引っ叩かれた事。
カンナと3人で深川に霊力の高い屋敷に調査に向かった事。
溺れているのを助けた事。
シンデレラの話が好きだという事を話した事。
紅茶を入れた事。
お見合いを壊しに行った事。
華やかで印象的な彼女と同じように、思い出もどれもこれも印象強いことばかりだ。
なのに、もう彼女は居ない。
霊力が、無くなってしまったせいで。
彼女の霊力が弱まっている事には、前から気付いていた。
眩いまでの彼女の霊力が何かに蝕まれるかのように弱まっていくのに、気付かない筈が無い。
けれど、どうすることも出来ずにただ見ていることしか出来なかった。
(なにか、してやりたかった。助ける事が出来るなら、助けたかった。)
自分が全ての人を助ける事が出来るとは思っていない。
そんな事はあやめさんの時ですでに思い知っている。
けれど、だからこそ自分の周りの人は大切にしようと、誰一人欠ける事が無いように努力しようと思っていたのに。
(また、居なくなってしまったな……。)
自然と自嘲の笑みが浮かぶ。
誇り高い彼女の事を思い、あえて霊力の事を口にはしなかったが、そのせいで一人で悩み、苦しみ、去る事を決めてしまったすみれくんを思うと後悔が押し寄せた。
「ここに居たのね、大神くん。」
「……かえでさん。」
ゆっくりと目を開けると、かえでさんが心配そうな顔で自分の顔を覗き込んでいた。
「まだ、後悔しているの?」
表情にまで出ていた事に苦笑しながら、誤魔化すように「心配をかけてすみません」とだけ答えた。
「霊力はまだ不明な点が多い未知の物なのよ。すみれの霊力を取り戻す方法は、私たちには無かったわ。………だから、自分を責めないで。」
かえでさんの言葉に俺は頷く。
確かに、霊力を取り戻す方法など無いと分かっていても、それでも自分に出来る事は合ったのではないかと思ってしまう。
「そうかもしれません。ただ、俺が諦めきれないだけです。……情けないですね。」
「大神くん……。」
かえでさんの表情が辛そうに歪む。
そんなに自分の表情は痛々しいのだろうか。
(また心配を、かけてしまったな。)
その事を申し訳ないと思いながら、かえでさんを部屋に出るように促した。
暖房もつかないこの部屋はかなり冷える。
このままではかえでさんが風邪を引いてしまうかもしれない。
「ねぇ、大神くん。進む道が同じじゃなくても、遠く離れていても、私達の気持ちはずっと傍にある。それを、忘れちゃ駄目よ。」
部屋を去る際に、かえでさんは俺の目を見ながらそう伝えた。
今日の予定は、新しい光武の開発についての会議。
紐育のスターのように空中戦にも対応できるよう、変形型の光武の製作についてを話し合う事になっている。
会議の場所は作戦司令室になっているが、技術者達が来るまでまだ時間がある。
『顔色があまりよくないわ。大神司令は少し休んで気分転換でもして来たら?資料は、私が用意しておくから。』
かえでさんのその申し出に甘えて、とりあえずこの食堂で食事を取った後、何をする訳でもなくぼんやりとしている。
「気持ちは傍にある……か。」
かえでさんの言葉を反芻しながら、俺は食堂の椅子の背もたれに体を預けた。
彼女はどんな気持ちだったのだろうか。
決断を後悔していないだろうか。
「気持ちは傍にある」と言われたのに、そんなことすら俺には分からない。
いつか会う事が出来たなら、聞くことができるだろうか。
あの時の、彼女の気持ちを。でも、もしそれで彼女を傷つけたら……?
カラン……
考えに没頭していたら、後ろで何か落ちた音が聞こえた。
誰か他に来ていたのだろうか。そんな事をぼんやりと思っていると、後ろに居るであろう人に声をかけられた。
「ちょっと、そこの貴方。」
聞いたことがある綺麗な声。
よく覚えている。期待を込めて、ゆっくりと後ろを振り向いた。
「自分…ですか?」
「他に誰が居るというの?馬鹿面してないでとっとといらっしゃい。」
あまりの言われように苦笑するが、彼女がからかうような楽しそうな視線で俺を見てくるので、彼女に付き合うことにした。
この先の展開を予想して、あの時と同じように新しいフォークを持って彼女に近づく。
「どうぞ。」
「まぁ、ありがとう。気が利いていらっしゃるのね。」
新しいフォークを受け取って、彼女は機嫌よく笑った。
最初に出会った頃の出来事を繰り返したような再会に、思わず俺も笑顔が零れた。
「久しぶりだね………、すみれくん。」
「お久しぶりですわ、大神司令。」
「まさか、すみれくんが来るとは思わなかったよ。かえでさんからも、何も聞いていなかったし。」
「それは当然ですわ。私が驚かそうと思って連絡をしなかったんですもの。」
よく考えれば、新しい光武の開発となれば技術者だけではなく、神崎財閥も関わってくる筈だ。
それでも、よもやすみれくんが来るとは思わなかったが。悪戯が成功した事に満足げに笑ってから、すみれくんは俺に向かって指を差した。
「それより、何なんですの?先ほどまでの辛気臭い顔は。折角の良い男が台無しですわよ?」
「そんな暗い表情、してたかな。」
「えぇ、それはもう。司令の立場から、隊員である皆さんに相談する事も難しいでしょうから、私が相談を聞いてあげてもよろしくてよ?」
「別に、悩みがあるというわけでは…」
「いえ、あれは悩みがある顔でしたわ。私を誤魔化せると思いまして?」
悩んでいた原因である人物に思いっきり核心をつかれて、思わず視線を逸らす。
本人を目の前に、「君のことで悩んでいた」とは言い辛い。
視線を逸らしたまま黙っていると、すみれくんは寂しげに溜息をついた。
「分かりましたわ、帝国華撃団としての機密もあるでしょう。もう花組では無い私には言えない事もおありですわよね……。」
「違う!」
確かにすみれくんの事で悩んではいたが、それはそういう意味で悩んでいた訳ではない。
「君はずっと俺達の仲間だ。何処にいても、どんな身分になっても。ずっと。」
真剣にその気持ちを伝えると、すみれくんはキョトンとしてから、クスクスと笑い出した。
その反応に、どうして良いか分からなくて名前を呼ぶと、すみれくんは笑いを噛み殺しながら答えた。
「あら、そんな事言われなくても分かっておりましてよ。ちょっと意地悪をしてみたかっただけですわ。歌劇団を抜けた事を盾にするのは少し卑怯でしたけど、司令ともあろうお方がそんなに単純に引っかかってはいけませんわ。司令も、まだまだですわね。」
声高に笑われながら、俺は少しうな垂れだ。
元々駆け引きはあまり得意ではない上に、相手は元トップスタァだ。適う筈が無い。
「まぁ、所詮司令は私には適いっこ無いと言う事はこれでお分かりでしょう?何かあるならさっさと話して下さいませ。」
これは、彼女なりに話しやすくしてくれたのだろうか。
相変わらず分かり難い優しさに内心
「素直じゃない」と思いながらも、尋ねてみる事に決めた。
「すみれくん…」
「なんですの?司令。」
静かに自分を見つめる瞳に、この疑問をぶつけて彼女を傷つけはしないだろうかと一瞬怯むが,それでも疑問を口から押し出した。
「すみれくん。……この歌劇団から離れる時、何を思った?」
「………」
「すまない、不躾だった。」
少し辛そうに細められた目を見てやはり傷つけたかと、話を打ち切ろうとすると、すみれくんが首を左右に振ってそれを制した。
「いえ、結構ですわ。……そうですわね、随分と悩んだ事は確かです。今まで霊力があって当たり前でしたから、それが無くなるという事は身を切られる思いでした。光武に乗って戦う事、華撃団の一員である事、トップスタァである事は私の誇りでしたから。」
「…………」
「でも、この劇場を離れるときは、苦しい気持ちばかりだった訳ではありませんし、ここを離れて神埼重工へ行く決断をした事にも後悔はありません。何も出来ずにここへ残るより、自分にしか出来ない事をやるべきだと思いましたから。」
「すみれくん……」
先ほどまでの悲しみを瞳から拭い去り、真剣な瞳で俺を見据えた。その瞳から、すみれくんがどれだけの決意を持ってそれを選んだかが滲み出てくるようだ。
「……ですから、司令も自分を責めるような事はなさらないで下さい。大神司令は私が悩んでいるときに、傍にいて下さいました。私はそれで十分救われましたわ。」
その言葉に、思わず目を見張る。
「すみれくん…、俺が何に悩んでいたのか、気付いて……」
「私に何か言いたげにしていましたからね。この事かな…と。」
まるでお見通しだと言いたげな笑顔に、俺は諦めたように笑った。
やはり、すみれくんには勝てない。
けれど、それは悪い気分ではなかった。
「大神司令。私たちはお互い離れた所に居ますけれど、目指す物は同じ物でしょう?ですから、辛くないのです。貴方と一緒に、頑張っていると思えますから。」
『ねぇ、大神くん。進む道が同じじゃなくても、遠く離れていても、私達の気持ちはずっと傍にある。それを、忘れちゃ駄目よ』
(あぁ、この事だったんだな。)
かえでさんの台詞をまた思い出す。
そして、目の前のすみれ君の笑顔は曇り一つ無い物で、その表情を見てようやく俺の中のわだかまりが消えていくのを感じた。
「そうか……。なら良かった。君が苦しい選択を取ったのでないなら。今を誇りを持って生きているなら。ずっと、それを心配していたんだ。」
「まったく、ずっとそのことで悩んでらしたのね。あまり悩みすぎると、その内胃に穴があきましてよ?」
「あぁ、そうだな。気を付けるよ。」
顔を見合わせてお互いに暫く笑っていると、食堂の時計がそろそろ会議の時間になろうとしている事に気が付いた。
まだまだ話したいが、それは会議が終わってからにするとしよう。
「すみれくん、そろそろ時間だな。もう皆揃っているころだと思うし。」
「あら、もうそんな時間ですの?では、参りましょうか。」
俺はすみれくんに向かって手を伸ばした。
「お手をどうぞ、お嬢様。」
少し冗談めかしてそんなことを言ってみれば、すみれくんは此方の意図を汲み取って付き合ってくれた。
「あら、ありがとう」
そっと置かれた手を取り、俺はすみれくんの歩調に会うように歩き出す。
すみれくんも優雅な足取りで着いて来る。
俺は思わず笑いを零しそうになったが我慢した。
そうして、俺とすみれくんは作戦司令室への短い道中を共にする。
そう、それは帝都の平和という目標に、互いに近付く様に。
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