大神×紅蘭
桜のお話
「花咲く場所へ」への続きです。
蒼作
「華舞う場所へ」
「あ、大神はん。此処におったんやね」
今日の仕事を昼までに終えてしまい、取り合えずサロンで休んでいた大神に声を掛けてきたのは紅蘭だった。
「やぁ、紅蘭。どうしたんだい?」
大神は口を付けていたカップをテーブルへと戻しながら、優しげな笑みを浮かべてこちらへと歩いてくる紅蘭を見やった。
「大神はんを探しとったんや。ところで、これから時間空いてます?」
はにかんだ笑みを浮かべて、紅蘭は大神へと訊ねる。
少し尻込んで居るのが、自分らしくないと思いながら、でもこの人の前だから仕方ないとも紅蘭は思う。
「あ、その、今日でなくともええんです。ただ、近々空いてる時間があるんなら、付き合って欲しい場所があるんですねん」
思わず逃げてしまった自分をたははと笑う紅蘭を、大神は静かに見つめてから立ち上がった。
「構わないよ。今、ちょうど暇なんだ。付き合わせてもらうよ」
「ほ、ほんまでっか!?」
紅蘭の表情がぱぁっと明るくなった。
大神は、その変化を見て華のように笑う娘だなと嬉しそうに微笑む。
「で?何処へ行くんだい?」
着替えた方が良いかなと訊ねながら、大神は自分の格好を見下ろす。
何時もの着慣れたモギリ服。もう、違和感すら感じない着こなしで。
「あ、それで平気やで。別におしゃれな所に行くわけやないねんから」
大神のそんな姿に紅蘭はクスリと笑って、手招きした。
小首を傾げながら、呼ばれたので大神は紅蘭の側へと近寄った。
そうしたら、紅蘭がネクタイを軽く直してくれる。少し、曲がっていたそうだ。
照れくさくて、大神は頬を掻く。
「ほな、行きまひょか」
ぽんと、大神の胸を叩いて紅蘭は先行して歩き出した。
大神は、その後をゆっくりと着いて行く。
他愛の無い会話を少し交わしながら帝劇の玄関へと着くと、其処には紅蘭お手製の赤いバイクが置いてあった。
大神はそれを見て、苦笑を漏らす。
「これで行くのかい?」
何度か爆発した経緯を持つそのバイクがちょっと怖い。
「ちょっと遠い所なんや。これなら、あっと言う間やで?なぁに、心配する事無いで!これ、爆発した事数回しかないんやから」
どーんと威張ってみせる紅蘭へ、何を言っても聞くまいと悟り大神は仕方なく苦笑った。
まぁ、確かに何度か借りた事もあるが、爆発したのはほんの僅かだ。此処は、意を決して乗る事にしよう。
「ん?紅蘭が運転するのかい?」
颯爽とバイクへと跨った紅蘭を見て大神は首を捻った。
「何言ってんねん、大神はん。大神はんはこれから行く場所知らんやろ?うちが運転しないで誰がするんや」
早く乗れと言わんばかりに、後部座席を紅蘭はぽむぽむと叩いた。
大神はそういえばそうだと笑って、バイクの後部座席へと。
「ほなら、しっかり掴まっといてな」
バイクのエンジンを掛けながら大神へと声を掛ける。
ああと頷いてから、大神はうろたえた。何処を掴めば良いのだろうか。
わたわたしていると、紅蘭がいぶしがって振り返る。
「何しとんねん。早く腰に腕回して掴まってぇな」
「あ、あぁそうだねっ」
言うも、そろそろと躊躇しながら大神は紅蘭の腰へと腕を回した。
「つ、掴まったよ!」
「ほな、いっくでぇっ!」
そうして、バイクがすごい勢いで発進した。
豪雷号や光武などで慣れていると言っても、少々Gに驚いてぎゅっと紅蘭へと抱きついてしまった。
しかし、紅蘭は気にした風も無く顔は見えないが楽しそうにしているのが分かった。
大神も暫くすれば軽く身体を起こし、風を切って走る事が心地よくなってきた。
街並みが後ろへと流れて行く。人々の動きが遅く感じた。一台車を追い越した。
暫く走り続ければ、景色が変わってくる。
徐々に家が少なくなって、この辺は郊外になるのだろうか。
「紅蘭!何処まで行くんだい!?」
ビュービューと耳鳴りのような風の音に負けないように大きな声で紅蘭へと問いかけた。
紅蘭はちらりと振り返って、にかっと笑ってから又前を向く。
「もう少しかかるわ。がまんしてな」
そして、かなり走り続けた後。視界にピンクの景色が映る。
だんだん、その景色が近付いて来て。視野一杯に広がって、切る風の中にピンクの花びらが混じって。
それから、ゆっくりとバイクが止まった。
咲き乱れる、桜、桜、桜。
視界一杯が桜色。
上野公園の桜も凄いが、此処の桜も凄かった。
「うわ……これは、凄いな」
思わず感嘆の声。
風に舞う桜の花びらが美しかった。
「大神はん。そろそろ、離してぇな。降りれんやろ?」
ちょっと頬を染めながら、紅蘭が遠慮がちに言った。
「ご、ごめんっ!」
大神は慌てて手を離してバイクから飛び降りる。
「えぇて。そりゃぁ、見惚れるやろ。此処の桜は」
紅蘭もゆっくりとバイクを降りて、桜を見上げた。
暫く、二人は黙ってその桜を見つめる。言葉は無くとも伝わる思い。それほど、桜は見事だった。
「紅蘭、どうして俺を此処へ?」
どう考えても、此処は取って置きの場所だろと。
誰かに見せたいという思いもあるが、人と言うのは自分一人の場所も求める物だ。
きっと、それが紅蘭のその場所だと思ったから。
「ん。大神はんに見せたかったんや。前、大神はん、梅の華見せてくれはったやろ?その、お返しや」
微笑む紅蘭がとても愛おしく思えた。つられるように大神も微笑む。
それから、又暫く黙っていると。紅蘭がなんだか恥ずかしげに口を開いた。
「と、まぁ。それは建前で……誕生日あったから、せやからせめて一日は大神はんと居りたくて……」
言ってしまえば、紅蘭はてててと駆けて行ってしまう。
大神は驚いたような表情を零してから、嬉しそうに笑った。
今日は、とても良い日だ。
桜の花びらを纏う紅蘭を見てそう思った。
新次郎×昴
紅葉のお話
蒼作
「わあ……」
母からの手紙の封筒を開けていた新次郎が、嬉しそうな声を上げた。
「どうしたんだい?新次郎」
其処へ、丁度簡易キッチンの方からお茶を入れた昴がやってくる。
新次郎の部屋だったが、もうかって知ったるもので。
コトリと新次郎の分の湯呑みをテーブルへ置くと、昴は新次郎の対面の席へと腰を下ろし、自分の分のお茶を啜った。
それから、新次郎が窓から入る日の光にかざしていた一枚の紅色に染まった綺麗な紅葉を見やる。
「へぇ、紅葉かい?」
口を付け一口啜った湯呑みを置いて、昴は扇を広げる。
「あっ、ありがとう御座います、昴さん。そうっ、そうなんですよ!紅葉です!綺麗だなぁ」
お茶の礼を律儀に口にしてから、新次郎は手にしていた紅葉を下ろす。
そんな嬉しそうにする新次郎を見て、昴は扇の向こうで小さく微笑んだ。
そうして、パチリと扇を閉じる。
「あぁ、綺麗だね」
そう言って、少し考える仕草。
「もう、そんな季節なんですね。忙しさにかまけて忘れてました」
紅葉を置いて、新次郎は湯呑みに口を付ける。お茶を啜って、美味しいですと微笑んで。
「きっと季節も忘れているだろう君に、母君からのプレゼントだね。素敵な人だ」
そして、新次郎の額を閉じた扇で小突いてやる。
「はい。えへへ」
自分が褒められたかの様に笑う新次郎を見て、昴は満足そうに頷いてから立ち上がった。
「昴さん?」
立ち上がる昴を見ながら、新次郎は小首を傾げる。
「ちょっと席を外すよ。すぐ戻る」
どうしたんですかと、瞳で訴える新次郎に軽く手を振り、昴は部屋の外へと出て行った。
新次郎は不思議に思いつつも、直ぐに戻ると言った昴を疑う事無く大人しく待っていようと、母の手紙に眼を落とした。
少しして部屋へと昴が戻って来た。何やら扇を開いて口元を隠している。
「昴さん?」
新次郎はさっきとは違う方向へと首を傾げた。
すると、昴は扇を下ろして椅子へと腰を下ろしてから口を開く。
「新次郎。これからデートに行かないかい?」
クスクスと笑って見せる昴に、一瞬黙った新次郎は直ぐに嬉しそうに立ち上がった。
「いっ、行きます!ど、何処へ行きましょうですかっ!?」
顔を紅葉の様に紅く染めて、気がせいている新次郎を見て昴は小さく笑う。
「落ち着け、新次郎。もう行き先は決まっている」
そうして、昴は悪戯気に笑うのだった。
「何で此処なんですかぁー」
残念そうに、何処か嫌そうに叫んだのは新次郎。
「フフフ」
扇で口元を隠して笑う昴。
此処は、セントラルパーク内のサニーサイド邸。
此処まで来る道中は、のんびりと歩きウキウキ気分だったのだが。
新次郎は溜め息を吐いた。
「がっかりするのはまだ早いよ。さぁ、行こうか」
ぺちりと閉じた扇で新次郎の肩を叩き、昴はさっさと歩き出す。
「へ?す、昴さぁ~ん」
慌てて昴の後を追い掛けて行く新次郎の目に入ったのは、紅く紅葉した紅葉の木達。
「うわぁ、凄い……」
「だろう?最近は忙しくて此処で食事していなかったからね」
わぁわぁと騒ぐ新次郎を見て昴がクスリと笑う。
そうして、昴は新次郎から目を離し騒ぐ声を聞きながら、紅葉の木へと近付いた。
そっと手を伸ばすと紅葉が落ちてきた。指先が触れる。やんわりと手に取った。自然と笑みが零れる。
ふと、耳に新次郎の騒ぐ声が聞こえなくなっていた。
昴は不思議に思い、新次郎の方へと顔を向けてみれば、其処には顔を真っ赤にして此方を見ている新次郎の姿。
「新次郎?」
首を傾げて新次郎の名を呼んでみる。
すると、はっと気付いたように目を瞬かせてからわたわたとする新次郎。
「なっ!何でもありません!あっ、そうだ!か、勝手に敷地内に入ってサニーさんに怒られませんかね!」
わぁわぁと騒ぐ新次郎に昴はしょうがないヤツだなといった表情を向けてから、
「問題ない。許可は取った」
「あ、そうなんですか?」
きょとーんとした新次郎の隣に昴は立って、
「フッ、抜かりはないよ?折角のデートなのだし…」
スルッと新次郎の腕に自分の腕を絡めると、昴はくすくすと笑った。
新次郎はまた真っ赤になって、硬直して動けなくなり、暫く二人はそのまま紅葉を眺めていた。
2007.11.13
大神×ロベリア
誕生日記念。ワインのお話
蒼作
月が輝き、街を照らす。
夜の闇は月明かりにその身を僅かに潜めていた。
とある店から男が出てきた。
月を見上げてから、小さく息を吐いて髪を撫でる。
「此処にも無いかぁ。そろそろ街を少し離れないと見つからないかな?」
そんな風に零す男をふと見つけた女が居た。
「ぁん?こんな所で何やってんだ?」
女は、路地裏の闇からするりと抜け出して、夜道を歩き始めた男の背後へと静かに近付く。
あと少しで男に手が届くか。
そんな所で、男がふいに振り向いた。女は内心舌打ちをするが、至って平然と、よぅと声を発する。
「あぁ、やっぱりロベリアか」
男はロベリアの姿をきちんと確認すると笑みを浮かべた。
ロベリアもそれを見て、自然と笑みを浮かべ。
「何だい、よくアタシだって分かったね。隊長」
腕を伸ばし、指先で大神の顎へと触れる。
「分かるさ。ロベリアの気配ならね」
くすぐったかったのか、恥ずかしかったのか、大神はロベリアの指先から逃れる様に身を捩る。
それでも伸ばしてくるロベリアの手を取り、少し指を絡めてからそっと下ろす。
「でもなぁ、夜にひっそりと近付くのは勘弁してくれ。怖いからさ」
珍しく冗談混じりに言ってのける大神にロベリアは瞳を細めた。それからすり寄るように一歩踏み出す。
「ま、覚えてたら。気を付けるさ。所で、あんな店で何やってたのさ?ん?」
そう聞いたとたん、大神の身体が一瞬強張る。しかし、そんな瞬間がなかったかのように大神は笑う。
「な、何の事だい?」
そっとロベリアに触れ、密着していた身体を離す。
何気なくそっぽをむいたりするのだが。
(相変わらず、嘘の付けない男だねぇ)
呆れてそれを指摘してやる気もしない。
「あの店から出て来るの見てたんだけどね」
ぼそっと呟けば、大神はぎくりと。
余りの分かり易い態度。呆れを通り越して可笑しくなった。
「そっ、そうだ!グラン・マに頼まれたんだよ」
はははと笑う顔を見やり、これ以上ツッコむのも可哀相になって肩を竦め。
「ま、そう言う事にしといてやるよ」
ごつりと拳で胸を叩いてからロベリアはスイ―と大神から離れる。
大神は叩かれた胸を押さえて苦悶している。痛く殴ってやったのだ。分かり易い隠し事をする罰だと思えばいいと、ロベリアは鼻で笑う。
「んじゃあな」
そうして、あっさりと手を振りその日はさっさと別れてやった。
数日。
ロベリアは自室のベッドに寝転がっていた。
「まったく、何を隠してるんだかねぇ」
小さく呟いてみても答えは返らない。
大神はまだ何かを隠しているようだ。
グラン・マに何気なく聞いてみたが、何かを頼んだ様子はなかった。
他の連中にも聞いてみたが、知らない様だし、店の奴にも粉を掛けてみたが、しっかりと口止めをしている様でやはり分からない。
いくら真面目に調べていないとはいえ。
「アタシがこうも手こずるとは……」
くくっと喉を震わせ笑った。やはり彼奴には飽きさせられないと。
と、部屋の扉の外に気配を感じてロベリアは体を起こした。
直後、扉がノックされる。
「ロベリア、俺だけど居るかい?」
朝、早い時間。珍しく、あの男が迷惑を考えずにやって来た。別に眠ってもいなかったので、普通に返事を返すと、大神が静かに入ってくる。
「何だい?こんな朝っぱらから」
ベッドから降りて、側にあったイスを引き寄せ座る。
「あぁ、えっと…すまない。ちょっと良い酒が手に入ったから一杯だけ付き合ってほしくて、さ」
どうも、言い訳がましいのを分かっているのか、大神は頭をがしがしと掻いてから、酒瓶をテーブルへ静かに置く。
「朝から、あんたが酒?槍でも降るかね?」
からかってやるが、大神から酒を誘ってくるのは珍しいので、ロベリアはさっさとグラスを用意する。
大神が瓶の口を開けて、グラスに中身の液体を注いだ。
色と香りだけだが、まぁまぁなワインだと思う。
本当に一杯だけの付き合いを望んでいるのか、グラスに一杯だけ注げば大神は瓶の口をしっかりとしめていた。
ふと、ラベルに目がいった。
暫し間を置いて。
(なるほど、そう言う事か……)
事が分かれば、笑いが込み上げてくる。
そんなロベリアに気づき、更にさとられた事を知ったのか、大神は恥ずかしそうに顔を染めた。
「じゃ、頂くよ」
そう言えば、ロベリアは酒を一口喉へと落とす。
それをじっと見ていた大神のネクタイをいきなり掴み、ロベリアは自分の方へと引き寄せた。
「極上な、酒だ、な」
そして、大神の口を塞いだ。
酒瓶のラベルには大神の誕生した年月が記されていた。
そして、今日は奇しくもロベリア・カルリーニの誕生日。
大神×ロベリア
クリスマスのお話
蒼作
「時には貴方に花束を」
部屋のベッドの上に、薔薇の花束があった。
別に何があるでもない部屋。鍵も掛けずに部屋を留守にする事もある。そして、今日はそ
んな日だった。
だが、部屋を留守にしたのは僅かな間。そんな合間にこの部屋を訪れる奴が居たようだ。
ベッドへ警戒もなく歩み寄り、薔薇の花束を掴み上げた。
水滴が飛んだ。
そういえば、今日は朝から小雨が降っている。
花束にはカードも無く、誰からの物かも解らない。
はずなのだが、ロベリアは淡く笑い、薔薇の花びらに付いている水滴を舐め取った。
「ハンッ。柄にもない事をしやがる」
でも、どこか嬉しそう。
ロベリアは花束を肩に抱え上げると、まだシャノワール内に居るであろう濡れ鼠の彼の元
へと向いだす。
今日は素直になってやろう。
なんたって、X'masなんだから。
バサリ―――
ベッドに真紅の薔薇が投げ出された。
「アンタへのX'masプレゼントだ」
ニヤリと笑うその表情は妖艶で。
力任せに引かれたネクタイ。
ふわりと鼻腔に届く甘い香り。
そして、一瞬で奪われた唇。
息を吸うのも忘れる程の深い口付けが交わされて。
名残惜しそうに唇が離れれば、視野に掠る銀糸。
いつの間にかカノジョは窓の外。
「じゃあな」
残ったのは、薔薇の花束と香り。
盗まれたのは俺の心。
泥棒は、薔薇の香り――。
2006.12.24
大神×ロベリア
誕生日記念。大人な感じのお話
蒼作
「月の見る夜」
月が煌々と輝く夜空。
もう、夜も遅い。人々は寝静まり、起きているのは夜行性の動物ばかりか。 そんな時間。
明かりの灯らぬ部屋に人の動く気配が在った。
開け放たれた窓。
そこから入りくる月明かりに満ちて、部屋は淡く暖かい。
気配が室内を移動し、その部屋から消えた。
それを待っていたかのように、窓の外に突然別の気配が現れる。
気配が、笑った。
そして、室内に影を落としながら窓を潜り抜け室内へ。 慣れたもので、薄暗い室内でも周囲をみ回す事もなく、整えられていたベッドへドサリと腰を下ろした。
と、部屋を出た気配が戻って来た。
「うぉわっ!?」
ベッドに腰を下ろしている人影に気付き思わず声を上げる。
「よぅ、夜分」
口元に妖艶な笑みを浮かべ片手を軽く振りながら声を上げたのは、ロベリア・カルリーニだった。
「な、なんだ…ロベリアか」
たははと笑いながら、月明かりに照らし出されたロベリアを見て、瞳を細めるのは大神一郎。
「ハンッ。解ってた癖に驚くんじゃないよ」
ひょいっと肩を竦めてからロベリアは大神を見やる。
「誰かまでは解らないよ」
苦笑いし ながら、大神はベッドへと近付き足を止めた。
僅かに開いた空間。
何だとばかりに、ロベリアは下から大神を睨む。
「皆待ってたんだぞ?細やかだけど、君の誕生パーティーの準備をして……」
大神は、一度ロベリアを見下ろしてから溜息を吐く。
「聞いて無かったのか?そんな物必要無いってねっ」
面倒臭そうに手を振って、ロベリア は大神から視線を外した。
「まぁ、皆余り期待してなかったせいか、そんなには怒ってなかったけど…折角用意してくれたプレゼントぐらいは、明日貰っておけよ?」
優しさを瞳に移し、大神はロベリアを見る。勿論その瞳に一瞬、ほんの一瞬浮かべた困ったような表情を見逃す事無く。
「要らないよ」
先浮かべた表情は無かったかのように、ぞんざいに言い放つ。
そんなロベリアの反応に思わず大神は笑ってしまう。
「…………燃やされたいのか?」
右手の平に霊力の炎を乗せて、ロベリアは大神を睨みつけた。
常人なれば、震え上がる視線を大神は最もたやすく受け流し、一歩ロベリアへ近付いた。
「プレゼント、要らないのか?」
珍しい。
大神の瞳の奥、何時もは強く優しい光が宿っているが、今は少し楽しげな色が漂っている。
「要らないって言ってるだろっ」
手の平の炎を握り潰し、フッと吹けば残った火花を散らした。 大神は、それは残念だとばかりに大仰に肩を竦めてみせる。
「俺からのプレゼントも要らないんだ」
今度は悲しげに肩を落とす。俯いたせいで表情が隠れた。
「……………」
そんな大神の所作に、眉間に皺が寄る。
これは罠だと解りきっては要るのだが、この男が自分の誕生日とやらのプレゼントを用意してあるらしい。
別に欲しくはないが、酷く気になったのは確か。
どうするか。此処は、罠にはまるべきか。 僅かな逡巡。
相変わらず、大神は肩を落としたまま。
「あぁ、もうっ!わかったよ、何だ?貰ってやるから教えろよっ!」
がしっと頭を掻きながら、しょうがないと罠に嵌まってやった。そう、しょうがないからだ。
ロベリアがそう口にすれば、大神は顔を上げ笑みを浮かべた。
何処か嬉し気な表情は少年 の様だと、不覚にも一瞬見惚れた。
そんな隙を付いて大神が不意にロベリアに近付いた。
自然な動きだったせいか、反応に遅れると、唇を奪われた。 長く熱く深いキス。永遠に続くかと思われたその瞬間。
ゆっくりと唇が離れて行った。
「俺がプレゼントじゃ駄目かい?」
呼気を整えてから、大神の口から出てきた言葉はそれだった。
「―――ッ!」
そして、ロベリアから零れ出る笑い。 可笑しくてたまらないらしい。
肩を揺らすのが精一杯で笑い声も出ない。
それを元から承知していたのか、大神は怒るでも照れるでも無く、じっと待つ。
「っく!ハッ―――!あ、アンタにしちゃぁ、随分大胆なプレゼントじゃないかっ」
まだ、笑いが抜け切らないのか随分と声が震えている。
「――で?受け取ってくれるのかい?君の誕生日が終わるまで後少し。時間は、ないよ?」
時計を示してから、悪戯っ子のように笑う。
そんな大神を見て、ロベリアは笑むと腕を大神の首へと絡めて、口付けを。
「勿論頂く。大神一郎、アタシを抱きな」
艶めかしく、妖艶に、誘って、耳元で囁いて。
「愛して、くれるんだろぅ?」
今度はこちらから唇を奪って、舌を絡めて、歯をなぞって。 唇を離せば僅かに乱れる呼気が肌を叩いて。
「勿論。君が求めるままに」
ゆっくりとベッドへと横たわり、相手を求め、キスをして、手を伸ばし、肌に触れ。
時が変わるその瞬間まで、時が変わったその後まで。朝日が昇るその瞬間まで、求めるのを止めない。
だって、悔しいじゃないか。
祝った事もない、ただ年が増えるだけの日にわざわざ用意さ れたプレゼントが嬉しいだなんてばれてしまったら。
しょうがないから、他の連中のプレゼントとやらも貰ってやろう。
じゃないと、アンタが図にのっちまうからさ―――。
「W Birthdy」
新次郎×昴×プチミント
誕生日記念。ディナーのお話
黄緑作
かなり長い為に続きに載せられませんでした。
下記リンク先が小説
http://sansyokudango.client.jp/nswbirthday.htm
新次郎×昴
誕生日記念。24:00に帰宅のお話
蒼作
夜遅く。シアターからの帰り道。
もう、慣れ親しんだその道を、機嫌よさげに歩いているのは、 大河新次郎 。
「えへへへ」
我慢しきれないのか、時折嬉しげな声が漏れる事を止められない。そんな姿は、はたから見ると怪しい事この上ないが、本人はその事に気付いていない。
そんな彼の唯一の救いは、シアターから此処まで人と擦れ違う事が無かった事だろう。
そうして、そんな風に歩き続ければ何時しか自分の部屋の側。歩きながらポケットを探って鍵を探す。
「あった」
少々手間取って引っ張り出した鍵を目の前まで持ち上げて笑顔を零す。
「君は、何処までも興味深いな……」
「わひゃぁっ!?」
突然脇から声を掛けられて、新次郎は文字通り飛び上がって驚いた。
それから、慌てて声のした方へと顔を向ければ、其処には 九条昴 。その人が居た。
「すっ、すす昴さん!?」
「昴は言った。此処が君の家だろう。何処まで行くつもりだ……と」
扇を広げて口元を覆い隠し、昴はこれ見よがしに溜息を吐いた。
新次郎は昴に言われてから、え?とばかりに周囲を見渡す。そして、鍵を探す事に夢中で自分の部屋の前を通り過ぎてしまっている事に始めて気付いた。声を掛けて来た昴も少々後方にいる。
「あ、あははは」
あまりの自分の間抜けさ加減に、誤魔化すように苦笑い。
昴はそんな新次郎を見て、もう一度小さく溜息を吐いて、ドアノブへと手を伸ばしドアを開けた。
「ともあれ、お帰り。勝手に上がらせて貰ったよ」
そうして、鍵のついたキーホルダーを掲げ、昴は新次郎へと優しく微笑んだ。
部屋に入れば、テーブルには昴専用の湯飲みが置いてあり、それはどうやら飲み掛けのお茶らしいかった。
部屋に来た昴が飲んでいたのだと胸中で呟いて再確認する。
「お茶でいいかい?それともホットミルク?」
昴は、部屋に入ればそのまま部屋備え付けの簡易キッチンへと足を運ぶ。
「あ、すみません。それじゃぁ、………お茶を」
昴の背を見ながら、自分は他にする事もない為、新次郎は大人しく椅子に座って待つ事にする。
そして、椅子についてやっと一安心したのか、今日一日の疲れが押し寄せてきた。
「そう言えば、何で外に居たんです?昴さん」
小さく息を吐いてから、疲れに落ちそうな顔を上げて、昴の背に問い掛けた。部屋で待っていればいいじゃないですかと、視線が昴の姿を捉え。
「なに、君がそろそろ帰ってくるのではないかと思ってね。僕の予想は当たりやすい。外へ出て幾らもしないうちに、大河。君が帰ってきたからね」
フフと笑いながら、だから長時間外に居たわけではないから心配するなと言外に伝え、マグカップを手に新次郎の側へと戻る。
コトリ。カップを新次郎の前に置いてやり、昴は空いている新次郎の対面の席に腰を落ち着ける。
新次郎の前に置かれたカップからは湯気が立ち上り、僅かに甘い香りがする白い液体が波紋を描いていた。
新次郎は、それをじっと見つめてから上目遣いに顔を少し上げて昴を恨めしそうに見やる。
「ホットミルク。それが良かったんだろう?」
ちょっと、意地悪そうに笑いながら昴はもう冷めてしまっている自分の湯飲みに残っていたお茶へと口を付けた。
「うぅ……。あっ、暖かいお茶入れます?」
「いや、結構だ。これで良い」
そう言うと、またお茶へと口を付けた。そんな昴を暫し見つめた後、新次郎もせっかく昴が用意してくれたホットミルクを口へと運んだ。
暖かく、少し甘い味が口内へと広がり、何だかホッとする。次いで胃へとそれを流し込めば、胃が優しく満たされた。
「ところで、君は何をニヤニヤしていたんだい?」
昴は、湯飲みを置くと扇を軽く広げた。
「へ?」
自分では自覚していなかった事を尋ねられて、きょとんとした表情で新次郎は昴を見やる。それから、小首を傾げた。
「自覚、無しか。実に君らしいね」
クスクスと笑いながら、昴は髪を軽く掻き上げる。
「ま、どうせ明日の事でも考えていたんだろう?」
ぱちりと扇を閉じて、それで新次郎の鼻を小突く。
「あいたっ。むぅ、何で分かっちゃうんでしょう。昴さんって凄いですね」
「大河は直ぐに表情に出る。だから、読みやすい」
小さく息を吐きながら、扇を引き戻しそれを昴は顎に当てた。
君に、ポーカーフェイスは似合わない。何て、胸中で呟くも昴はそれを口には出さずに苦笑いだけを浮かべた。
「昴さんの言う通り。僕、明日が楽しみなんですっ。誕生日を祝ってくれるのが嬉しくって。それが、顔に出ちゃったんですね。いけないいけない」
ぱんぱんと両頬を叩いて表情を改めようとするも、直ぐににへらとしてしまう新次郎。
「君らしくて良いと思うよ。僕は」
昴は、一生懸命表情を変えようと努力する新次郎を見て笑む。
「えへへ。いくつになっても、お祝いされるのって何だか嬉しくって。僕は皆が居てくれるだけで、それだけで嬉しいんですけどねっ」
本当に嬉しそうに笑う新次郎につられるように、昴も自然と口元が綻んでしまう。それを隠すように昴は慌てて扇を開く。
そんな昴の様子に気付く訳も無く、新次郎はミルクを半分程飲んでから、あれ?と改めて昴を見やった。
「昴さん、今日は何で此処に?」
今日一日。昴の口から、家に来るとは聞いてない事を今更ながらに思い出して、じっと昴を見つめる。
「用が無ければ、僕は来てはいけないのかい?」
何時の間にか空になった湯飲みを眺めてから、昴はじろり新次郎を見た。
「あ!いえっ!!そんな事はありませんです!用が無くたって、全然っ!何時でも来てください!」
がたんっと椅子を倒して立ち上がり、心底慌ててまくし立てる。本当に焦っているようで、わたわたと両腕を意味も無く振り回す。
「フッ!ハハハ!冗談だよ、新次郎。わかってるから」
新次郎の慌て振りに、思わず笑い出した昴は優しく新次郎を宥める。
「あ、あのっ、え!?」
新次郎は、からかわれている事に気付けずに何が何だか分からず、動きが止まって今度はぽかんと口を開けた。
そんな新次郎を見つめながら、尚も昴は小さく笑う。
「まぁ、でも今日は用があって来たんだけどね」
「?」
とりあえず座れと昴に促され、新次郎は椅子を立て直し座る。
それから、今度はミルクを一口飲めと言われ、一口口を付ければ、何だか気分が落ち着いた。
そんな新次郎の心境を確認してから、昴は開いたままの扇を静かに口元を隠すように置いてゆっくりと口を開く。
「なんて事は無いさ。新次郎、君の一年に一度ある変わり目。その日、その境目を、一緒に過ごしたかっただけさ」
そう言ってから、昴はにこりと笑い扇を閉じた。
「……えっ?えぇっ!?」
昴の言葉の意味を理解するのに数秒をようしたものの、理解できれば急に顔が真っ赤になって。
「迷惑、だったかい?」
昴が小首を傾げる。
「そっ!そんな事ありませんっ!!す、すっごく嬉しいです!」
また、椅子を蹴倒し立ち上がれば、テーブルへと身を乗り出し。
「それは、よかった。僕も嬉しいよ」
昴は微笑み、ゆっくりと立ち上がり。ちらりと、時計を確認すれば不適に笑って。
「さ、日が変わった。おめでとう、新次郎」
そして昴は、新次郎へと口付けた。
あまりの自然な動作に、新次郎は驚くのも忘れ昴をじっと見つめるだけ。
唇が離れ、昴がまた優しく微笑んだ。
「プレゼントは明日…いや、今日か。そのパーティーで」
ス――と昴は身を引き離れ、最後にそっと新次郎の頬を撫でた。
「あ………」
さっきと同様、真っ赤になると思ったが、新次郎は予想外に嬉しそうに笑ってから離れ行く昴の手を取った。
「ありがとうございます。僕…、凄く、ホント、凄く嬉しいです」
握った手を大切に握り、頬に当てその温もりを感じながら。
「僕も、僕も…昴さんの変わり目の日に、一緒に居たいです。居ても、いいですか?」
昴は僅かな驚きと共に、引き剥がせない手と頬の温もりを心地良く感じながら、苦笑った。
「気長な話だ。覚えていたらね…」
そっと、手を引いた。
「僕はっ、絶対覚えてますからねっ」
名残惜しそうに、でも離れ行くその手を追わず、変わりに昴の瞳をじっと見つめる。
昴は、クスリと笑い、視線を新次郎のそれと絡ませてからテーブルから離れ、歩き出した。
「おやすみ、新次郎。また、今日の朝に……」
外へと歩んで行く昴の背を追い、新次郎も歩む。
此処までで良い、と視線で止められ新次郎はドアの前で立ち止まる。そして、昴の背を見送った。
「まったく、これだから君って奴は………」
もう、普通に声を出しても新次郎へは届かないだろう場所で、それでも気にするように小さな声で昴は呟いた。
今が夜中で良かった。人とも擦れ違わないし、この夜の闇が表情を隠してくれる。朝になる前に、この気持ちを落ち着けなければいけない。シアターの連中は聡いのが多いから。そう思いながら、けれど、昴は今在る笑みを消せないで居た。
そんな昴の背を見えなくなるまで見送った新次郎は、唇に手を当て暫し黙る。そして、今更。何だか恥かしくなって顔が赤くなる。
あぁ、今日は絶対に良い日に違いない。
新次郎×昴
帰宅途中のお話
蒼作
夜の見回りも終わり、新次郎はシアターを出た。
すると、シアターの前に黒塗りの車が止まっていた。そして、丁度その車に乗り込む昴の背が見える。
挨拶をしようと、一歩踏み出したが、昴は車の中へとその姿を消してしまった。
そうなってしまえば、きっと声も届かないだろうし、もし気付いてもらえてもその場に止めてしまうのは悪い。
仕方ない、とちょっと肩を落とし新次郎は声を掛けるのを諦めた。
そうして、自分も家路に付こうと歩き出したが、最後にもう一度と思い昴の乗った車へと目を向ける。
すると、何時の間にこちらに気付いたのか、昴がおいでおいでと車の中から手招きをしていた。
新次郎は、きょろきょろと周囲を見回す。
だが、其処には自分以外誰も居ない。
もう一度車へと視線を向けて、ぼくですか?と自分を指差し聞いてみれば、昴はこくりと頷いた。
それを見た新次郎は喜び勇んで車へと駆け寄る。
ある程度近付けば、歩みを止める新次郎。
しかし、昴は車の窓を開けるでもなく、まだおいでおいでと手招きをしていた。
新次郎は躊躇もせず、もっと車へと近付いた。それでも、昴はまだ手を振っている。
今度は、新次郎も小首を傾げるが昴が呼んでいるのだ、疑う事もせずに更に車へと近付く。
車との距離はもう、軽く手を伸ばすだけで届いてしまう。
そんな距離。車内の昴を見やる。
何時も手にしている鉄扇を開き口元を隠しながら、空いている手でまだおいでをしている。
昴が何を求めているのか、今一解らない新次郎は、それでも大人しく言う事を聞いて窓へと顔を近づけた。
昴が扇を閉じた。露になった唇へと視線を向けていると、その唇が紡ぐ。
『もう少し近づけ』
唇の動きを読み取った新次郎は、疑問も何も思い浮かべる事無くやはり素直に昴の言う事を聞いて更に顔を近づけた。車の窓に、額と鼻の頭、それと唇が軽く触れる。
ふと、昴が動いた。
窓に触れた唇。
昴は、窓越しに新次郎へとキスをした。
ゆっくりと窓から離れ、扇を軽く開き口元へとあてる昴を新次郎は、驚きに目を見開き身を軽く窓から離してから呆然と見た。そんな新次郎を見てフフフと昴は笑う。
そして、昴の唇がもう一度何かを紡ぐ。
『おやすみ、大河』
そうして扇を閉じれば、昴は運転手へと声を掛け車を出発させた。
新次郎は、車を見送り暫しその場に立ち尽くしたかと思えば、急に顔を紅く染め周囲を慌てて見回す。
視線を走らせた周囲には誰も居ない。其れに安堵の吐息を漏らしてから、口元を軽く手で押さえる。
「うぅ、反則です。昴さん」
顔を紅く染めたまま、車が去った方へと視線を向けつつ新次郎はそう呟いた。
それから、そのままずっと其処に佇んでいるわけにもいかず、新次郎は歩き出す。
これでもかと言うぐらい、幸せそうな顔をして―――。
新次郎×昴
見回り後のお話
蒼作
舞が……微妙?もっとこう、上手くかければいいんだけど学もないし……○| ̄|_
今度、もうちょっと真面目に舞いのシーンを書いてみようかと、ちょっと見当。
「見回りの最後に」
大河新次郎は、シアターの夜の見回りをしていた。
ふと、時計を見やればそれもそろそろ終わりの時間。
新次郎は最後に舞台を見回りに行こうと足を向ける。
夜のシアターは、昼とはうって変わって静寂だけが支配する。
喧騒は何処にも無く、小さく呟く言葉さえも響き渡ってしまいそうだ。
怖いわけじゃない。強いて言うならば寂しい。それが今この場に合う
言葉だろうか。
新次郎は一度背を震わす。この静寂に、独り飲み込まれてしまうよう
な錯覚を覚えて。
そして、暫くすれば舞台へと辿り着いた。
袖から舞台を見やった時、人影が見えた気がした。
「う゛………」
嫌な予感。まさか、まさかだよねと言い聞かせ。手にした明かりを軽
く隠しながらもう一度舞台を見やる。
舞台には、薄い明かりが灯っていた。
視界に、ふわりと扇が舞う。紫がゆるりと舞台を移動する。
それは、静かな舞だった。それでいて何処か凛としている。揺らぎな
ど何処にも見えず、ただ、ひらりひらりと舞っているようで、時折鋭
さを見せるそれ。
「…………うわぁ」
思わず感嘆が喉の奥から漏れ出る。
すると、舞が突然止まった。一枚の扇が閉じられ、もう一枚が、顔の
位置でゆるりと止まる。
「昴は言った。其処に居るのは誰だ……と」
透き通った声が新次郎の耳に届いた。忘れようも無いその声にちょっ
とビクリと背を正す。
「あ、あの新次郎ですっ。すみません、お邪魔しちゃって……」
隠していた明かりを引き戻し、昴の居る舞台へと向かい歩き出す新次
郎。
その姿を確認した昴は、扇の奥で小さく笑みを零す。
「いや、気にしないでいいよ。ちょっと身体を動かしていただけだか
ら」
パチンっと扇を閉じる音が、静かな舞台と客席に響いた。
「そうなんですか?でも、なんて言うか……こう、神秘的でした」
えへへと笑いながら昴の側に来れば立ち止まり。
「………神秘的?そんな大層な物じゃぁないよ」
扇の先を顎に当て苦笑する昴。本当にそんな大した物じゃない。ただ
本当に身体を動かしていただけなのだから。
「で、でも。そう見えたんですからっ」
何故か力説する新次郎に、仕方ないなと昴は小さく笑う。
「所でキミは見回りかい?」
昴が、尋ねながら小首を傾げる。
そんな姿を可愛いなぁなんて思いながら眺めつつ、新次郎は答える。
「はいっ。って言っても、もう此処で終わりなんですけどね。でも、
びっくりしました。まさか昴さんが居るとは思わなかったので」
軽く首筋を撫でながら苦笑を漏らす。てっきり自分独りだと思ってい
たシアター内に、知らなかったとは言え大好きな昴が居たのだ。それ
だけで心が温かくなる。
「そうか………」
昴は、扇で口元を隠しながら暫しの思案顔。どうしたのだろうと新次
郎が首を傾げていると、昴は小さく微笑みながら口を開いた。
「折角だ、大河。一緒に帰ろうか?」
その言葉に新次郎はパッと顔を輝かせた。
「良いんですかっ!?」
嬉しそうな顔をして昴に詰め寄る新次郎。勢い込んで迫っている為、
昴に程近い場所に居る事に気付かない。
そんな新次郎を、バカだなぁと心中でからかいながら軽く身を反らし
てから扇で頭を叩く。
「良いから誘っているに決まってるだろう?」
打たれた頭を軽く摩りながら、身体を戻し。それでも嬉しそうな顔で
えへへと笑う新次郎は、元気よく、はいっと頷いた。
「帰ります。一緒に帰りましょうっ」
今すぐにでも、帰ろうとする新次郎を昴は呆れ顔で見つめる。
「シアターの前で待ってる。帰り支度をしておいで」
新次郎の頭に手を伸ばし、子供をあやすように頭を撫でる昴。
新次郎は、顔を赤くして子ども扱いしないで下さいと視線で反論する
が、そんな事で昴に勝てるわけも無く。
「さ、僕をあまり待たせないようにね」
頭を撫で終えると、昴は歩き出す。新次郎をその場において。
「あっ、はいっ!直ぐに戻ってきますからねっ」
そう言って、新次郎は先行する昴を追い抜いて走って行ってしまう。
新次郎の持つ明かりが、暗い廊下に尾を引いて消えて行く。
そんな様を昴は小さく微笑みながら見つめていた。
大神×織姫
誕生日記念、七夕のお話
黄緑作
「七夕の奇跡」
今日の七夕特別公演「織姫と彦星」は見事際盛況に終わり、打ち上げも兼ねた織姫の誕生日会も大いに盛り上がった。
舞台が跳ねた後だったので気分が高揚したせいか皆随分と羽目を外して騒いでいた。
けれど、身体は疲れていたのだろう。
いつもなら誰かしろ起きている時間帯であるにも関わらず、皆部屋で休んでいる。
そんな中、大神はかえでが伝え忘れた明日の予定を各々に伝えながら一人見回りをしていた。
(レニ・すみれ君・カンナには誕生日会が終わった直後に伝えられたから大丈夫だよな。マリアはかえでさんに直接聞いたみたいだから、マリアも大丈夫。アイリスは……伝えた事には伝えたけど、随分と眠そうだったからな。)
そこまで考えて、先ほどまで会っていたアイリスの事を思い出す。
部屋で寝る準備万端だったアイリスは、起きているのが不思議なくらい眠そうだったが、必死に瞬きをしながら話を聞いていた。
けれど、意識が飛んだのか何度もカクッと頭が下がっていたので、会話の内容を覚えているかは怪しいところだ。
(明日の朝、また言った方が良さそうだな。)
俺は記憶の中の微笑ましい様子に密かに笑ってから、再び仕事に思考を戻す。
アイリス以外の他のメンバーも大体部屋で休んでいたから、大体伝言は終わった。
一人を除いては。
(……織姫君。何処にいったんだろう?)
今回の主役である織姫だけは部屋におらず、伝言も伝えていない。
ノックをしても返事が無く、寝ているだけかとも思ったのだが、それにしては人の気配がしなかった。
織姫が一番疲れているだろうに、どうしたのだろうか。
彼女の事を想いながら中庭へ向かった。
2006.07.07 黄緑
中庭に出ると、少し強めの風に闇の中で雲が動いているのがぼんやりと見えた。
空は生憎の曇天。折角の七夕なのに星の一つも見えない。
前日に花組の皆と一緒に飾った笹の葉と短冊のサラサラと擦れ合う音が、物悲しさを増徴させた。
特に誕生日である織姫は、この日天の川を見ることを楽しみにしていたのだ。
彼女はプライドが高いから表立って喜んでいた訳ではないが、それでも七夕が近付くにつれて織姫に笑顔が増えていった事に気がついていた。
だから、今朝の蒸気ラジオで「今日は一日曇り空でしょう」と伝えられたときに、誰よりも落ち込んでいたのも知っていた。
(星が見えればよかったんだけどな。せめて、一瞬でも。)
そう思いながら空を見て、それから視線を笹に移した。
すると、風に翻る短冊や笹飾りの中に飾りには似つかわしくないものを見つけた。
ふわふわと揺れる白い物体。これは……
「てるてる坊主?」
思わず疑問系になってしまったのは、それがどこか不恰好だったからだ。
笹に吊るしてあるてるてる坊主の紐を指で抓んで間近で見ると、紐を固定してあるにも関わらず器用にくるりとひっくり返った。
これでは逆に雨が降りそうだ。
「どうしてこんな所にこれをつけたんだろうな…?」
俺は後ろを振り向いて、じっと植木の向こうの草陰を見つめてからこう言った。
「ねぇ、織姫君。」
その瞬間、ガサガサッと大きな音がした。
スタスタと植木に近付いて上から覗き込み、蹲っている少女の頭をポンと叩く。
「そろそろ出ておいで。服が汚れるよ?」
「………いつから気付いていたですか?」
「…ついさっき、かな。」
実を言うと、中庭に入ったときから既に人の気配に気付いていた。
けれど、部屋に居なかった織姫か神出鬼没な加山か判別はつかなかったため、カマをかけてみたのだ。
といっても、そんなことを言ったら只でさえむくれている織姫が余計悔しがる姿が目に浮かんだので、言うのは敢えて避けておく。
「それで、どうしたんだい?こんなところで。」
「別に?ちょっと眠れないから散歩してただけでーす!中尉さんは見回りの途中でしょ?こんな所で時間を潰して良いですか?」
話を変えるように尋ねるとが、話す気はないのかそ知らぬ顔でそっぽむいてしまった。
この状態でこの言い訳は滅茶苦茶だが、今は表情に動揺は見られない。流石は女優。
どんなに無理だろうが無茶だろうが、彼女なら俺を言いくるめる事くらい簡単だろう。
だが、彼女はその言い訳が通用しない決定的な証拠があることにまだ気付いていない。
思わず苦笑すると、織姫はそれを目ざとく見つけて睨みつけてきた。
「なんですか~?」
「いや、なんでもないよ。あと、見回りなら大丈夫。ここが最後だったんだ。だから、」
そこで一旦言葉を切って、織姫の足元を指差した。そこには、さきほど笹に吊るされていたものと同じ白い物体が程植木に引っかかっている。
恐らく立ち上がったときに引っ掛けて落ちたのだろう。
それを拾い上げて、少し付いてしまった汚れを叩き落とす。
「これ。付けるの手伝うよ」
そう言って白い物体――――てるてる坊主――――を織姫の目の前で小さく揺らすと、一気に織姫の顔が真っ赤になった。
「に、日本の男デリカシー無いでーす!!こういうものは気付かない振りをするものじゃ無いんですかー?!」
てるてる坊主を奪い取るように取り返してから、織姫は眉を吊り上げてきつく睨むんできた。
けれど、その怒りが照れから来ているものと分かっているのであまり迫力は無い。
むしろ「可愛いな」なんてどうしようもない事を心の中で考えながら、ごめんと一言謝った。
「本当にすまないと思ってるですか?」
「思ってるよ。今日は織姫君の気が済むまで付き合うから、許してくれないか?」
「ふぅ~ん……」
織姫は腕を組んで考えるそぶりを見せてから、ニヤリと意地悪く笑った。
「中尉さんがどうしてもって言うなら、それで許してあげなくもないですけどー?」
先ほどから、してやられてきた彼女の意趣返しなのだろう。
けれど、その言い回しがいかにも彼女らしい。
「あぁ。どうしても。駄目かい?」
「仕方ないですねー。中尉さんがそこまでいうなら、つき合わせてあげまーす。」
高慢に言い放った彼女と目が合って、特に何を話すでもなく顔を見合わせていたら、何故か笑いがこみ上げてきて。
気付いたら、お互いにクスクスと笑い合っていた。
「本当は今日晴れたら、中尉さんと一緒に星を見たかったんです。」
織姫は笹につけたてるてる坊主や、植木に引っかかっていたてるてる坊主以外にも5つ程隠し持っていたが、それはどれも首を傾げたような歪な形になっていた。
器用にひっくり返るてるてる坊主の紐を解き、形を整えてから再び結んで織姫に渡す。
織姫は、渡されたてるてる坊主を笹に結ぶ。
その行為を黙々と繰り返していると、ふいに織姫がポツリと話し始めた。
「ラジオで「一日中曇り」って言ってましたんで、諦めようとも思ったんですけど。でもやっぱり、諦められなくって。」
だから、どうしても晴れて欲しくててるてる坊主を作ったのだと、織姫は呟いた。
父親に教わったてるてる坊主に、願いを託すことにしたのだ。
「部屋にも飾ったんですけれど、それでも晴れなくて。もしかしたら、願いを叶えてくれる笹ならに飾ったら、晴れるかもしれないって思ったんです。」
けれどその行動は子供みたいでやっぱり恥ずかしくて。
誰かが中庭に来たのを察して咄嗟に隠れたのだと笑いながら言った。
しかし「恥ずかしい」の部分が自分の中で引っかかって、首をかしげる。
「別に良いんじゃないかな。恥ずかしくないよ。」
反論をするが、織姫は下手なフォローだと思ったのか曖昧に笑うのみ。
そんな顔をさせたくなくて、なお言を紡ぐ。
「叶えたい願いがあったから、出来る努力をしたんだろう?それは、恥ずべき事じゃない。何もしないで後悔するよりも、ずっと良いと俺は思うよ。」
そう思わないか?と、同意を求めると、織姫は表情をみるみる明るくさせて頷いた。
「……そうですねー。後悔より、マシですよね。」
「だろ?」
それでもやはり子供じみているのが恥ずかしかったのか、素直じゃない言葉が織姫の口から出てきたが、彼女はどこかスッキリとした表情をしている。
元の明るい表情に戻ったのを確かめてから、最後の一つを織姫に手渡す。
そして、それを笹に結びつけた。
「これで完成でーす!後は、晴れるのを待つだけですね。」
7つのてるてる坊主をつけた笹は、愛嬌があるような気がして面白かった。
ベンチに座って、他愛の無い話をして笑い合いながら、2人星が出るのを待った。
待つ時間は退屈なものとは程遠く、久々の2人きりの時間をのんびりと過ごす。
いつもは花組の皆と一緒だから、その貴重な時間を楽しんだ。
「それにしても、どうして織姫君はそんなに星を見たかったんだい?」
『七夕だから』と言われればそれまでだが、ラジオで曇りだと伝えられていたのだから諦めそうな気もした。
文句も言うだろうし、不満もあるだろうが、織姫は案外サッパリとした性格……というか、切り替えが早い性格だ。
「てるてる坊主」なんて迷信に頼る程、何かをしようと自ら動くなど見たことが無い。
素朴な疑問を織姫にぶつけると、織姫は雲が広がっているだけの空を見上げた。
「ねぇ、中尉さん。誰かをずっと想いつづけるのは大変だと想いませんか?」
「え?」
先ほどの会話とは繋がっていなそうな質問を逆にされて、思わず答えを返せずに戸惑いの声が漏れる。
空を見上げつづける織姫の横顔を見ると、どこか切ない顔をしていた。
「人の心は不安定なものです。他に素敵な人を見つけたかもしれない。もう、自分の事を愛していないかもしれない。あるいは逆に、自分の気持ちが冷めてしまうかもしれない。」
確かに、人の心は目に見えないし移ろうものだ。
不安や、嫉妬や、妬み。そんな目を背けてしまいたくなるような感情は山のようにある。
だからこそ誰かを思いつづけることは難しい。
「長い間会えないのに、ずっとお互いを愛して、想いつづける。それって、凄い事だと思います。」
「……うん。そうだね。」
「だから年に一度の逢瀬ぐらい、叶えてあげたいじゃないですか。」
凛とした声が、願いが、夏の夜に小さく響いた。
同じ「織姫」という名前で思い入れがあるのか、自分の両親が長い間離れ離れになっていたことを思ってか、はたまた別の理由か。
それは分からないけれど、天の恋人達のことを思って晴れて欲しいと切実に思っているのは確かだった。
「織姫君……」
彼女の名前を呼ぶと空から視線をこちらに戻して、先ほどの表情は嘘のように消え、いつもの笑顔でこう言った。
こいびと
「それに、地上の織姫は彦星とずっと一緒なのに、天の織姫が彦星に年に一度も会えないんじゃ不公平でしょ~?」
少しおどけるように言ったセリフは本心かどうか分からないけれど、その辺は敢えて聞かないでおく事にした。
どちらにしても、願いは同じ。
「だから、晴れて欲しいんで~す。」
「晴れるよ、絶対に。」
だって、地上の織姫がこれだけ願っているんだから。
――――――――それから、どれだけ待っただろうか。
眠り静まった劇場は、風の音と笹の揺れる音しか聞こえない。
公演と誕生日会で疲れきっていた織姫は、肩にもたれ掛かって眠っている。
織姫を起こさないようにじっとしながら空を見つづけていると、遠くに雲の切れ間が見える事に気がついた。
「織姫君、起きて。」
「ん~……。あれ?私、寝てたですか?」
「少しの時間だけね。…それよりほら、あれ。」
織姫の意識がハッキリするまで待ってから空を指差すと、織姫は驚きに目を見開いた。
雲の切れ間は風に吹かれて瞬く間に広がっていく。
懐中時計に視線を落とすと、時間は11時半。
ギリギリだが7月7日だ。
再び視線を空に戻して様子を固唾を飲んで見守っていると、切れ間はとうとう中庭の上空までやってきた。
そして……
「見えた……。」
「天の川でーす!!!」
流石に空一面にとまでは行かないが、それでもぽっかりと大きく空いた雲の間からは、美しい天の川が覗いていた。
織姫は歓声を上げながら喜び、自分はこの奇跡に声も無く空を見上げた。
「……織姫と彦星は、会えたですかねー。」
「うん。会えたよ。」
「…そうですか。なら、良かったで~す。」
「織姫君の願いが天に届いたんだよ。」
天の川に見とれながらそう言うと、織姫は少し考えてから首を横に振った。
「『私の願い』じゃなくて、『私達の願い』……でしょ?」
「……そうだったね。」
悪戯っぽく笑う織姫に、こちらも自然と笑顔が零れた。
そのままベンチで暫く星を見ていると、不意に織姫が「あっ!」と声を上げて立ち上がった。
「どうしたんだい?」
「忘れてました!!短冊を飾らなくちゃいけなかったですね。」
「え?昨日の内に飾ったんじゃないのか?」
至極当然な疑問を返すと、織姫は呆れたような表情でチッチッチッと指を振った。
「昨日は昨日。今日は今日でーす!ほら、さっさと笹に飾るですよ!」
織姫はスカートのポケットに手を突っ込んでローズピンクの短冊を取り出した。
既に願い事は書かれてあるらしく、早速笹に結ぼうとしている。
まさかそんな事を言い出すとは思っていなかった………というよりむしろ見回りの途中だったので、当然自分は短冊など持っていない。
メモとペン位はあるが結びつける紐も無いので、大人しく織姫が結び終えるのを見ている事にした。
紐を結ぶのなどすぐ終わるだろうと思っていたが、何故か織姫は背伸びをしながら悪戦苦闘している様子。
必死に手を伸ばして高い位置に結ぼうとしているが、手元が見えない分上手く結べないらしい。
「そんな高い位置に結ばないで、もっと下の方に結んだら?」
「何言ってるですか。下の方に吊るして天の織姫と彦星が短冊が見えなくて願いを叶えてくれなかったらどうするですか!今回の天の川が出てきたのは私達の努力があってこそなんですから、私達の願いが真っ先に叶えられるべきでしょー?」
だから高い位置に結ぶのだと断言したが、どう頑張ってもカンナの短冊よりも低い位置にしか届いていない。
けれど、台を探して急いで戻ってくるのも大変だし時間も掛かる。
(これで12時が過ぎて七夕が終わったら織姫君もがっかりするだろうし………)
そんな事を考えていると、織姫は諦めたように溜息をついた。
「うぅ、やっぱカンナさんの短冊より高く結ぶのは無理ですか。仕方ないですねー、じゃあこの辺に……」
「待って。」
「はい?…っ、きゃあっ!!」
近くの笹の枝に短冊を結ぼうとするのを遮って、俺は腕に座らせるように彼女を抱え上げる。
身体が不安定にならないようにもう片方の腕で背中を支え、安心させるように微笑むと、織姫の顔が何故か赤くなった。
「え?あ、あの、中尉さん?!」
「織姫君……。」
「は、はい…。」
「…これで、一番高い位置に結べるだろ?」
「……はい…って、え??高い位置?」
織姫はキョトンと目を丸くしてから、辺りを見渡した。
そこが、俺の言った通り他の短冊が飾られていない事を確認したようだが、織姫は何故か赤い顔を更に真っ赤にしてしまった。
「織姫君?」
「な、何でもないでーす!!」
どうかしたのだろうかと下から顔を覗き込もうとしたが、それを避けるように顔を背けられたので、表情は窺い知れなかった。
それでもジッと様子を見ていると、ペシンと額を叩かれた。
「何でもないですってば!それより、落ちないようにちゃんと支えてて下さいよね!」
顔を真っ赤にしたまま何でもないと言われても嘘だといっているも同然なのだが、それよりも彼女が怒って暴れないようにしっかりと支えておく方が優先だろう。
大人しく黙って支えてる事に専念すると、織姫は満足したのか手早く笹に紐を結び始めた。
笹から外れないようにきつく紐を結んでいたが、ふと何かが気になったのか手を止めた。
「そういえば中尉さんは、一体何をお願いしたですか?」
「俺?」
「えぇ。」
「…俺の願いは……、世界平和。この帝都だけじゃなくて、巴里や、他の世界も平和でありますように……って。」
帝都の皆も、巴里の皆も、他の国に暮らしている人々も。
戦って傷付かないように。敵の脅威に怯えないように。
そんな願いを短冊に託した。
それを聞くと、織姫は納得したように一つ頷いた。
「相っ変わらず、中尉さんは真面目ですねー。でも、中尉さんらしいです。」
「そういう織姫君は?」
「私ですかー?私は新しい靴と、ドレスと、バック。あと、楽譜が欲しいって書いたで~す!」
もしかして、クリスマスと混同しているんじゃないかと思える願い事の内容に、俺は思わず苦笑いになってしまった。
だが、ふと気付く。
「あれ?もう一つの願いは?」
抱えている織姫君の身体が、何故かピクリと小さく動いた。
動揺したように感じたが、何か言い辛い事でも聞いただろうか?
「も、もう一つの願いって?」
「だって、昨日も織姫君は短冊を書いて飾ってただろ?その短冊と、今飾っている短冊と2つあるんだから、願い事も2つじゃないのか?」
「え~っと、まぁ、そうですけど。」
「そっちにはなんて書いたんだい?」
織姫は、「う~~~~ん」と唸るような声を上げながら悩んでいたが、結局「内緒です」と言われてしまった。
「良いじゃないか、言ってくれても。」
「言ってしまって願いが叶いにくくなってしまったら嫌ですから。」
(………俺は願いを言ったし、織姫君も一つ願い事を言ったんだけどな…。)
少しぼやきたい気持はあるが、大切な願いだから言わずに大切にしたいという気持ちも分からないでもない。
諦めて短冊の紐を笹にグルグル巻きにして満足した織姫を降ろすと、織姫は甘えるように腕に手を回してから
「願いが叶うといいですねー。」と、楽しげに笑った。
地面に降りた織姫は腕を絡めた状態のまま、俺のを見上げて問い掛けた。
「ねぇ、中尉さん。私と年に一度しか会えなくなっても、ずっと私の事を思ってくれますか?」
織姫が突然そんな事を尋ねてきたので、何事かと思ってまじまじと織姫を見ると、その表情は期待と少しの不安を混ぜたような感じで俺の解答を待っている。
(一年に一度しか会えない?)
その時の事を想像してみようと暫く考えてみても中々浮かばない。
そして、ようやく一つの答えを出した。
「……さぁ、どうだろう。分からないな。」
そう答えると、織姫は驚いたように目を見開いた。
てっきり「YES」という返事が返ってくると信じて疑わなかったのだろう。
「な、何でですか中尉さんっ!!どういうことですか?!」
「落ち着いて織姫君。」
「これが落ち着いてられますかっ!!」
「だから、待ってくれって。まだ続きがあるんだから。」
怒り狂う寸前の織姫を宥めると、なら続きを言ってみろという感じで睨まれたので、思わず苦笑が浮かんだ。
「だって、地上の織姫と彦星は常に一緒なんだろ?離れ離れになるなんて事は、ならないし、させないよ。」
離れ離れになることを想像しても、浮かんでは来なかった。
だから、それが答えなのだろうと自分の中で思ったのだ。
そう言って笑うと、織姫はポカンとしてから、蕩けるように、擽ったそうに笑って回した腕に力を込めた。
「願い事、もう叶っちゃいましたねー。」
「ん?どうかしたのかい?」
「ふふ、何でもないで~す。」
声が小さくて聞こえなかったのだが、聞いても楽しそうに笑うだけで答えてはくれなさそうだ。
(何て言ったんだろう?)
なにやら今日は、秘密にされる事が多い気がする。だが、昔姉にも言われたが女性とは謎が多いものなのだろうと思って諦める。
何を言ったのかはまだ気になるが、彼女の幸せそうな笑顔が見れたから見れたからよしとしよう。
十二時の鐘が鳴って七夕が終わりを告げても、2人は離れることなく星を見つづけた。
寄り添う二人の後ろで、「中尉さんとずっと一緒にいられますように」と書かれた短冊が、星の光を浴びながら風に揺れていた。